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8月6日は広島原爆の日。平和記念資料館で見た原爆の恐ろしさと悲劇

今日、8月6日は広島原爆の日です。広島は私の地元で、日常の中に平和公園原爆ドームは当たり前にあります。市内にあるので、何度も通り過ぎていますし、学校でも原爆の恐ろしさについての教育があります。

 

私が小学生のころ、原爆の絵を描く授業があり、原爆の黒い煙雲を描いたのを憶えています。そして、学生の頃、見学で、平和記念資料館に行ったことがあったんですが、大人になると記憶も薄れ、そして、段々と忘れていきます。

 

そして、昨年ですが、地元に戻った時に、平和記念公園に訪問したついでに、平和記念資料館に訪問する事にしました。


学生時代に訪問してからなので、もう20年近く来てないんじゃないかと思います。

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意外と知らなかったんですが、観覧料が安い!なんと大人が50円です。ちなみに中学生以下は無料です。

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家族連れが結構いたんですが、こういった場所に連れてくる親御さんっていいですね。私は今は福岡に住んでいるんですが、娘が大きくなったら連れて行ってあげたいと思います。平和である事がどれだけ素晴らしい事が分かると思います。

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通路から見た景色です。

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まずは「きのこ雲」です。原爆降下後にできた雲です。

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ちなみに、ここから先、少し過激な写真もあるので、苦手な方は避けてください。本当は目を背けたくなるくらいの写真もあったのですが、ちょっと辛すぎて写真で撮れませんでした。


壁に切ない言葉が書かれていました。。。「水をください」。当時、川の水も汚染されてまともに飲める水もなかったんでしょうね。そんな広島の今では水の都と言われるくらい水がきれいで、飲み水も美味しいです。

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原爆を受けた人たちを至近距離で撮った貴重な写真だそうです。今の日本からは想像できない写真だと思います。

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「生死の境をさまよう」
原子爆弾は、地上600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂したそうです。また、爆心地から半径2キロメートルにも及ぶ市街地の建物が跡形もなく壊され、焼き尽くされたそうです。後程、模型がでてきます。

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入ってすぐに、人形があるのですが、服や皮膚が溶けて、とてもひどい光景です。。。

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これが目の前の風景としてあったらどうでしょうか。原爆がもたらす悲劇は計り知れないものがあります。衣服も溶けて体にへばりつきます。

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「遺品は語る」

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残された懐中時計です。二川謙吾さん(当時59歳)の懐中時計です。

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こちらは水筒。

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こちらが模型です。爆心地は当時、こんな状態だったんでしょうね。

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こちらが広島に投下された原子爆弾です。この大きさで広島市半径2キロが跡形もなく吹き飛んだんですね。。。

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原爆で残ったかぶとと子供が乗る三輪車です。この二つの組み合わせは切ないですね、、、。原爆によって何もかもが破壊されます。

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熱傷の種類が書かれています。この熱傷の写真があまりにひどくて、目を背けたくなります。写真には撮っていませんが、女学生の顔が認識できないほどに焼け爛れていた写真もありました。顔が原爆の影響で溶けていました。痛みもそうですが、精神的なダメージも大きかった事だと思います。原爆がどれだけ非道なものか理解できます。

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風圧に壁にガラスが突き刺さったそうです。ガラスはもちろん、人間にも刺さったそうで、かなりの苦痛があった事は想像に耐えません。

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被害のあった地域です。私が住んでいた舟入も確実に被ばくにあっていますね。中区は壊滅的な状態です。そういえば、わたしが通った舟入小学校には、爆風に耐えた木が残っていたと思います。

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溶けた瓦のかたまりです。熱でこんな状態になるんですね。

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「溶けてくっついた湯飲み茶わん」

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「黒い雨」

爆発の直後、きのこ雲が立ち上がり、泥やチリなどが上空に巻き上げられたそうです。チリやススには放射線を帯びていて、空気中の水滴と混じり、雨粒となって地上に振り、この雨が「黒い雨」と呼ばれたそうです。

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「急性障害」
被ばく直後から短期間に現れた熱線、爆風や放射線による一種の症状を急性障害というそうです。
おもな急性障害には、脱毛、下痢、粘血便、歯茎からの出血など、粘膜障害、血液を造る機能の低下などがあるそうです。

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「頭髪の抜けた姉弟」
「歯茎からの出血」

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「背中や両腕がケロイドになった女性」
ケロイドは顔、背中、手足の関節などにでき、被爆者に関節の運動機能障害やみにくさなど、肉体的にも精神的にも大きな苦痛をもたらしたそうです。

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ちなみに、ケロイドとは、”火傷は皮膚が再生して傷をおおい、傷跡を残して治ります。ケロイドとは、正常ではない皮膚組織が過剰に増殖して不規則に盛り上がった状態をいいます。”


年齢、性別関係なくこんな被害で苦しんだなんて、想像を絶する苦痛ですね。。。自分の子供がこんな状態になるなんて想像したら、戦争なんて本当に許せないものだと思います。

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他にも「胎内被爆、小頭症」、「悪性腫瘍(ガン)」、「白血病」など様々な病気の引き金になったようです。

私は日本人として本当に平和な国に住めてよかったと思います。今、イスラム国へ移行としている若い人などが全世界にいますが、戦争が不幸しかもらなさないにも関わらず、思考回路が理解できません。


平和公園で折り鶴に「戦争をなくそう」とありましたが、本当にそうだと思います。原爆は今の平和な日本では想像できないほどの被害をもたらします。戦争、原子爆弾の悲惨さを伝える事の平和公園は実は、非常に大切だと痛感しました。

 

 原爆、戦争はあってはならないと思っていても、普段の生活の中でこの事を忘れてしまう事が多いと思います。特に、日本は平和なので、戦争ってもう昔の事という印象があると思います。


しかし、またいつ戦争があるか分かりません。だからこそ、戦争、強いては原爆がもたらす悲惨さをこういった施設で訴えることは、非常に重要だと思います。


そして、原爆投下後は、そこからさらに被害は続くのです。ちなみに、投下後、しばらくして広島の被爆エリアに入った人も、放射線の影響を受けたそうです。


「周辺市町村や近県で行われた救護」
”被爆直後から広島市の周辺の市町村には負傷した被爆者がぞくぞくと非難してきました。臨時の救護所や収容所が急きょ設置され、地域をあげて手当や看護が行われました。”

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赤十字病院で外来治療を受ける男性」

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「救援・救護活動と二次被爆」
「被爆者の暮らし」

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「平和への歩み」
戦争は経験したくないですし、今後も起きてほしくないと思います。だからこそ、こういった取り組みは非常に重要だと思います。そして、戦争、原爆がどれだけ悲惨なものであるのかを知る必要があります。


広島に生まれたおかげで、こういった施設で戦争を学ぶことができるのはとても貴重な経験になると思います。

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個人的に、外国人観光客が多かったのと、家族連れが多かったのがうれしかったです。まず、実際に平和の重要性を日本国内だけでなく、海外の人にも伝わって欲しいですし、私も含めてですが、戦争を知らない世代に、親がしっかりと戦争の悲惨さを伝える事。


私も小さいころに行ってからほぼ、記憶がなくなっていたので、今回の訪問で改めて原爆の脅威を実感する事ができました。


広島に来たら、一度は平和記念公園に訪れるのは、いい経験になると思います。

 

ここからは平和記念資料館を出て、平和記念公園の中になります。


こちらは「広島平和都市記念碑」。

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”安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから”

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”この碑は少佐20年(1945年)8月6日 世界最初の原子爆弾によって破滅した広島市を平和都市として再建することを念願して設立したものである。

碑文はすべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。
過去の悲しみに耐え憎しみを乗り越えて全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている。
中央の石室には、原爆死没者名簿が納められており、この日はまた原爆死没者慰霊碑とも呼ばれている。”

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「平和の灯」です。
”1964年(昭和39年)8月1日建立。建立者は平和の灯建設委員会。設計は丹下健三反核恒久平和実現まで燃やし続けられている。
火種は、全国12宗派からの「宗教の火」、全国の工場地帯からの「産業の火」から。その火種の一つに宮島弥山の「消えずの霊火」が用いられている。以降、ずっと消えずに燃えている。” wikiより。

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原爆の子の像」です。

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”この像は、2歳の時に被爆した佐々木禎子さんが、10年後に白血病で亡くなったことをきっかけに、同級生たちが、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と呼びかけ、全国の3,200あまりの学校や世界9カ国からの寄付などにより、1958年5月5日に完成したものです。~
像の下に置かれた石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれています。~”

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自分で折った折鶴をささげる事ができるみたいですね。すごい数の折鶴がありました。

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平和公園って、広島にいると身近ですが、学校の行事以外で個人的に訪問した事がありませんでした。同じく、広島に住んでいる人の多くは、身近過ぎて、訪問する人は少ないのではないかと思います。近所だからこそ、広島に住んでいる人も訪問しているみのもいい経験になると思います。

 

訪問する事によって戦争を経験した事がない若者も、戦争の本当の恐ろしさ、そして、原爆の恐怖を知ることができます。


私も学生時代に訪問した事がありましたが、記憶がほとんどなくなっていたので、今回、広島に帰省したタイミングで訪問できてよかったです。

 

テレビなどでも被爆者が戦争を語る事がありますが、そういった活動は本当に素晴らしい事だと思います。とても辛い経験だったと思いますが、その貴重な経験を後世に残してくれます。私たちは戦争を経験していないからこそ、そういった話に耳を傾けなければならないと思います。戦争は悲しみしか生みません。